5.保育所・幼稚園・学校ですることか


集団実施の中止は世界の流れ

 終戦直後の学校ではシラミなどの駆除のためににDDTという粉状の薬剤を筒状のポンプに入れ、頭髪や胸、背中に噴射しました。衛生状態が良くなり、やらなくなった後はDDTの殺虫効果から農薬として使用され、やがて日本では禁止になりました。当時は人畜無害なものとされていたため児童にも使われたものです。

 インフルエンザの予防接種は学校で集団実施されていました。脳症などの発生により任意となりました。やがて学校でやらなくなり、家庭の責任にまかされました。20年以上前のことです。

 9月1日のニュースでアメリカのオバマ大統領が新型インフルエンザ対策として「強制することはできないが各家庭で是非接種してほしい」と訴えました。

 子宮頸がんのワクチンが承認されました。当初は集団摂取の噂がありましたが、個人の任意接種になりました。

理由のないフッ化物洗口の集団実施

 死者が出た新型インフルエンザでさえ任意の接種です。むし歯で死んだ話は聞いたことがありません。それなのにどうして薬剤を一斉に口の中に入れなければならないのですか。日本では他の先進国と同じようにむし歯人口が年々減ってきています。各家庭でむし歯対策をしているのは当たり前なのに、一律に危険性のある薬剤でうがいしなければならない正当な理由がありません。


「むし歯の人間は困る」という集団医療行為は優生思想か?

むし歯に関するフッ素問題をこのように言う人もいます。
 フッ素洗口を推進しようとする歯科医師には個人の選択権(人権)を軽く見る、優生思想が背後にあるのではないかという意見があります。
 ナチスのホロコーストや日本のハンセン病者隔離のように病人や障害者を否定する考え方です。病気を嫌う心は誰にでもあるかもしれません。それが人と結びついて病人を嫌う心も奥底にあるかもしれません。でもそれは悲しいことです。誰でも老い入り病人になるからです。許されないことは病気を嫌うことを人に結び付けて、集団で一律に医療行為をすることです。


教育課程の編成にも負担が・・・

 今学校では相次ぐ教育課程の見直しで大変です。ゆとり政策の見直し、英語授業の導入などで時数が増え、行事や活動の時間が窮屈になってきています。フッ素洗口はますます教科指導、諸活動に負担をかけることになります。

 担任は登校する子どもたちの状態を注意深く見るところから始まります。子どもたちがどういう生活をしているかも知っています。「先生あのね・・・」「先生昨日ね・・」と寄ってきます。「この子は顔色が悪い」「今日は食事をしてきているかな」「熱があるのに無理して来ているな」「頭が痛いって」「夜更かししたの」アレルギーの子ども、食物アレルギーの子どもなど一人ひとりが多様で同じクラス状態はありません。授業の準備もあります。そんなたいせつな朝のスタートが、誤飲しないように、事故が起きないように最大の緊張の時間となるのです。当然後かたづけがあり授業が短くなることが起きてきます。推進者はこんなことをわかっているのでしょうか。


引き起こされるいじめ

 深刻なのは子どもどうしの会話です。「○○ちゃんはどうしてしないの」「おまえ、ずるいぞ」いくら事前指導しても子どもの口をふさぐことはできません。とっさに出てくる言葉で無用の傷が生まれてくるのです。同じコップを用意し、水でするようになっていますが子どもたちにはわかります。
 大人の都合で、教育課程や学習指導要領とも無縁な、集団洗口が生み出した傷です。


これは養護教諭の仕事なの?

 子どもの健康を守る立場の養護教諭は、副作用のある薬物を子どもに使わされるジレンマに悩みます。学校では熱や腹痛があるからといって一般の医薬品を服用させることはしません。必ず保護者に連絡して来てもらいます。怪我などの場合も学校の判断で病院に連れて行くことはありません。これない場合は親の指示を受けて救急車やタクシーなどで指定された病院に行きます。
保健室登校ばかりでなく、生活の乱れや非行などで保健室で対応することもあるのです。子どもと向き合わなければならない本来業務に対して、部屋を離れ、新たな緊張作業を強いられます。希釈などは本来薬剤師が行う極めて専門的なことでないでしょうか。

 教員に子どもと向き合う決め細やかな教育を求めることに、フッ素洗口は矛盾しませんか。学校は歯科医療機関でもなく職員は歯科医療従事者でもありません
教職員団体からは切実な声が上がっているのです。